自分こそが一番あやしい

大谷専修学院長 ―狐野秀存―

「一番怪しいのは自分やないか!」。通りの「怪しい人を見かけたら110番」の張り紙を見ながら ある先生が言われました。人の事を善し悪しと決め付け、全能の審判者にでもなったつもりで評価を下している自分こそが一番アテにならないのだと。「天下に己以外のものを信頼するより果敢(はか)なき(思い通りに行かない事)はあらず。しかも己ほど頼みにならぬものはない。どうするのがよいか。森田君、君この問題を考えた事がありますか。」夏目漱石が弟子の森田草平に宛てた手紙の一節です。近代日本の知性を代表する漱石の鋭い人間観察です。しかしその漱石も「どうするのがよいか」と問いかける所に、未だ自身の知性や能力で事を解決していこうという、自らの力「自力」を頼む心が現われます。「己ほど頼みにならぬものはない」と述懐しながらも己をアテに、頼りにしてしまう。そういう人間臭さがこの文面からは感じ取ることが出来ます。そしてこのような人の有り様を、真宗では愚者とおさえられます。かと言って私達に漱石を責める事などは出来ません。客観的に自分を見る事ほど困難な事はないからです。親鸞はその様などうする事も出来ない愚かな身を「煩悩具足の凡夫」と言い当てられました。弥陀の摂取不捨(必ず摂め取り、捨てはしない)の大慈悲心を信じ、凡夫の事実に身を任せれば、今の世の中も少しは生き易すくなるように思います。現代人の病は凡夫である事を封じこめるところにある様に思うのです。常に正解を求め、間違わない者(ただ)しい者でなければならないと、自分で自分を追いこめる所に窮屈さを感じるのです。北陸の真宗門徒の間に言い習わされてきた言葉があります。「凡夫のはからい、ぬかりがある。」合掌

仏教が身近になるマガジン「サンガ」vol168より

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